「左サイドスローの美学」のカテゴリを含む記事
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広島・なぜ左打者は「左横手」攻略が難しいのか 平成唯一の三冠王・松中信彦が語る
2004年に平成唯一の三冠王に輝いた松中信彦(元ソフトバンク)。日本代表の4番として、06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝にも貢献した希代の左打者だが、星野智樹(西武)やジェフ・ウィリアムス(阪神)など名だたる左サイド投手には軒並み苦戦を強いられた。現役を退いて4年。数々の打撃タイトルを総なめにした男が、打席から見た左サイドの脅威、攻略の難しさ、打ち出した対策を語る。数々の言葉が浮...
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広島・宮西尚生、“運”から始まったプロ生活 対左からリリーバーへ成長できた理由
2018年7月、通算274ホールドを挙げ、日本新記録を達成した北海道日本ハム・宮西尚生。節目の300ホールドも超え、通算ホールド数はもはや一人旅の状態になった。11年間、リリーフ一筋。そのピッチングと強靭(きょうじん)な心身の源を探った。・【連載一覧】左サイドスローの美学――左サイドスローで良かったなと思うところ、逆にマイナスに感じたところはありますか? プロに入ったとき、「左のワンポイント」として1軍でやって...
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広島・投手王国・広島で生き残るために ドラフト外の清川栄治が企んだ大胆な賭け
「とうとう勝ってしまった……」――入団5年目、通算106試合目にしてプロ初勝利を挙げた試合後、清川栄治はこう報道陣に語った。若いころは、「いつか先発に」との思いもどこかにあった。やがてその気持ちは消え、「リリーフ一筋、人がやらない記録を作るのもいいかな」と思うようになった。彼をそんな境地に導いたのは、左サイドスローという独特な投法。投手王国・広島で生き残るため、清川が見出した大胆な賭けである。・【連載一覧...
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広島・“松井キラー”元阪神・遠山の誕生秘話 全ては野村監督へのハッタリから始まった
通算17年間の現役生活で、セ・パ両リーグを渡り歩き、先発、リリーフ、野手と3つのポジションを経験した遠山昭治(現役時代の登録名は「奬志」など)。極め付きは阪神時代、1イニングの中で右下手投げの葛西稔と相手バッターの左右に合わせ、マウンドとファーストを行き来した「遠山・葛西スペシャル」。これほどバラエティーに富んだプロ野球人生を送り、ファンの記憶に残る選手も、なかなかいないだろう。・【連載一覧】左サイ...
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広島・角盈男が打ち破った“野球界のタブー” 固定観念の無さが進化を生んだ
プロ入り2年目の秋、オーバースローからサイドスローに転向した角盈男。ところが、これがマスコミにも評論家にも、散々叩かれた。「当時、左のサイドスローは基本的にタブーだった。あのころはまだ、右バッターが圧倒的に多かったから。彼らからしたら、左サイドは見やすいでしょう。ましてや183センチという上背のある僕が、どうしてわざわざ横から投げるのか、と」。それでも自ら納得して選んだ道。やがてシーズンが始まると、周...