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2019 07/24

広島・功労者の津田が広島の胴上げ投手に(1986年10月12日、ヤクルト×広島)/プロ野球1980年代の名勝負

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。



「僕が(1986年)前半良くなかった中で、津田(恒実)が踏ん張ってくれた。僕以外の先発も良くなかったんですよ。だから津田のおかげでチームが負け越しをしないでいて、優勝もできた。

 その直前、新聞記者に『最後の試合、投げたいでしょ』と言われたとき、『最後は津田につなぐんじゃないかね。これだけ頑張ってくれたし』と答えて、それが新聞に載ったんです。首脳陣も読んだんでしょうね。8回が終わったら、ほかに何も言わず、『ご苦労さん』って言われた(笑)。

 点差も開いて津田を出す場面ではなかったですけど、あいつが締めて良かったと思いましたよ。大きくマウンドでジャンプしたじゃないですか。僕だったら地味だったと思うんで(笑)」

 この試合の勝利投手となった北別府学が振り返る。85年オフに古葉竹識監督が勇退、阿南準郎監督となって臨んだ86年は、巨人とのデッドヒート。なんとか前半は首位ターンを決めたが、8月3日には巨人に首位を奪われる。26、27日は巨人との直接対決に連敗して5.5ゲーム差。巨人の優勝は決まったかと思われた。

 だが、9月に入ると広島の反撃が始まる。23日の直接対決に勝って首位の座を奪い返した。しかし、巨人も猛追。10月2日から連勝を続けた広島は首位こそ譲らなかったが、7日からはゲーム差なしと迫られていた。そして迎えた12日のヤクルト戦(神宮)。広島の先発は、ここまで17勝を挙げているエースの北別府だ。一方、優勝を阻みたいヤクルトは歴戦の尾花高夫を投入したが、広島の勢いを止めることはできなかった。

 1回表、先頭の高橋慶彦から山崎隆造が連打、一死後に山本浩二が四球を選ぶと、長嶋清幸が満塁本塁打。この時点で、ほぼ勝負は決まった。3回表にも先頭の小早川毅彦から山本浩が連打、そして長嶋が適時2点二塁打。一死後、正田耕三にも適時打が飛び出し、早くも7点のリードを奪った。

 一方のヤクルトは、初回に水谷新太郎が内野安打で出塁するも後が続かず、2回裏にも一死から広沢克己が右安打を放ったが、併殺。3回裏には一死から代打の君波隆祥が左安打、続く一番の栗山英樹も敵失で出塁するも、またしても併殺に打ち取られ、4回裏、5回裏には連続で三者凡退に終わる。

 だが、広島も4回表からリリーフに立った中本茂樹、6回表は大川章に3イニング連続で三者凡退に抑えられると、ヤクルトはその裏にレオンが3ラン。追い上げが始まったかと思われたが、これがヤクルト最後の見せ場となった。



 7回表に広島は小早川のソロで悪い流れを断ち切り、その裏は北別府が三者凡退、8回裏は1四球のみの4人で片づけた。そして9回裏、マウンドに上がったのが津田だった。

 津田は先頭の広沢から空振り三振を奪うと、続く池山隆寛は左飛に。そして代打の青島健太を見逃し三振に斬って取り、捕手の達川光男に飛び跳ねながら抱きついた。勝利数は最終的に広島が73勝、巨人が75勝で、勝率の差は3厘。ゲーム差なしの僅差の優勝だった。


1986年10月12日
ヤクルト-広島25回戦(神宮)

広島   403 000 100 8
ヤクルト 000 003 000 3

[勝]北別府(18勝4敗0S)
[敗]尾花(9勝17敗1S)
[本塁打]
(広島)長嶋12号、小早川12号
(西武)レオン34号

写真=BBM

週刊ベースボール

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