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2020 11/21

劇的な日本シリーズ 大野豊「何故おれじゃなくて川口なのか」そのとき川口和久は… 【西武対広島】



2020年の日本シリーズもいよいよ開幕直前となりました。1991年、西武vs.広島の激闘を振り返る記事を特別に公開します。(初出:Sports Graphic Number 965号 『<カープの名投手が語る>大魚をさらわれた両左腕の“違和感”。』)


「よし、これで勝った!」

 そのとき、広島東洋カープの川口和久は確信していた。日本シリーズが全試合デーゲームだった1991年、西武ライオンズとの第5戦で8回を無失点に封じ、9回を抑えの大野豊が締め、3-0で完勝。3勝2敗と先に王手をかけ、シリーズを制したも同然だと、西日の差す旧広島市民球場の一塁側ベンチで、グッと拳を握り締めた。

 思いは、マウンドの大野も同じだった。

「うん、これでいけるぞ!」

 5年前の'86年には西武に1引き分け3連勝から4連敗、手が届きかけていた日本一の座をさらわれた。しかも、この本拠地で行われた第8戦で、本塁打を打った秋山幸二に体操選手張りの“バック宙ホームイン”を見せつけられている。「あの屈辱を忘れたことはなかった。だから今度こそは、と思ったんです」と大野は強調する。
広島を、森祇晶はしきりに挑発した

 こうして迎えたシリーズは、西武が圧倒的に有利と見られていた。監督の森祇晶が就任1年目の'86年に広島に逆転勝ちして以降、5年間で4度の日本一を誇る絶対的王者として君臨。前年の'90年は巨人を第1戦からの4連勝でくだしている。'91年のシーズンも優勝し、チーム防御率3.22、同打率2割6分5厘と、投打ともにリーグトップの頭抜けた戦力を誇っていた。

 対する広島の“ミスター赤ヘル”山本浩二監督は就任3年目で、優勝もシリーズ出場も初体験。チーム打率はリーグ4位の2割5分4厘に過ぎず、相手先発によって左の西田真二、右の外国人アレンと4番を使い分けなければならなかったほど。何とか西武と張り合えるのは、赤ヘル野球伝統の機動力、リーグ1位のチーム防御率3.23を記録した投手力ぐらいだった。

 そんな広島を、森はしきりに挑発した。マークする選手として正捕手・達川光男を挙げ、「前回もそうだったが、今回も達川の頭脳との勝負。あのリードに裏をかかれないようにしないと」と発言したのだ。

 これに達川が「あれはのう、ホメ殺しよ、ホメ殺し。自分が育てた伊東(勤)が上という自信があるから、あんなことが言えるんじゃ」と猛反発。苦笑いして大野が言う。

バッテリーの力で西武の強力打線を抑えなきゃいかん

「あのシリーズは、ウチのタツと西武の森さん、伊東との捕手対決でもあった。それだけに、バッテリーの力で西武の強力打線を抑えなきゃいかんと思うたよね」

 しかし、最多勝(17勝)、最優秀防御率(2.44)、MVPなど5冠を獲得したエース・佐々岡真司を先発に立てた第1戦は3-11で大敗。秋山、清原和博、デストラーデ、石毛宏典に滅多打ちに遭った。が、第2戦の先発だった川口は、かえって自信を持って臨むことができたという。

「佐々岡のノックアウトはある程度、予想できた。シーズンのフル回転でエネルギーが切れていたからね。そんな中でぼくが第2戦に指名されたのは、それだけ首脳陣に信頼されていたからでしょう。当時、シリーズは第2戦重視という考え方が主流でもあった。そういう時代に第2戦を任されて、よし、やってやるぞ、と思った」
達川にダメ出しされた新球種が

 この年、川口は新たな球種を編み出していた。本来は左投手が右打者の内角を突くカットボールを、打者の手元で外角へ落ちるように改良したものだ。オープン戦で試したら、「こんなもん使えんわ」と達川にダメ出しされ、「くそ!」と思って練習を重ねた。それだけ心血を注いだ甲斐あって、シーズンでは投球回数205を上回る奪三振数230を記録している。この新球が、シリーズでも効果を発揮した。

「西武打線は強力なぶん、思い切り振ってくるタイプが多い。そんな打者ほど、この球に手を出して、ファウルになったり、自打球をぶつけたりしていた。そうして追い込んでおいて、アウトローへの真っ直ぐ、スクリューボールで三振を取るわけです」

 その結果、デストラーデには2点本塁打を浴びたものの、清原を無安打2三振に打ち取るなど、8回3分の0を僅か3安打2失点と好投。最後は、大野が初セーブを挙げて4-2で快勝である。ただひとつだけ、川口には抜き難い違和感が残った。

 '86年のシリーズを腰痛で欠場した川口にとって、まだ屋根のない当時の西武球場(現メットライフドーム)は初めて投げる球場だった。大抵のグラウンドはほぼ平らだが、'79年に完成したここは両側のベンチに向かって緩やかな下りの傾斜になっている、と川口は指摘する。

「だから、低めを突いたつもりでも、打席に達するあたりで他球場より高めに入るんです。もっと低めに投げようと、力めば力むほど高めにいく。それが嫌だった」

達川さんから“カット”のサインが出たんです

 1勝1敗として本拠地に移った広島は、西武相手に堂々たる力相撲を見せる。ベテランの北別府学が先発した第3戦こそ0-1で惜敗したが、第4戦は2度目の登板となった佐々岡が8回1死まで無安打無失点と力投し、大野が再び最後を締めて、7-3で勝つ。これで2勝2敗のタイだ。

 そして、第5戦には川口が2度目の先発マウンドに上がる。中3日で肩がバリバリに張っていながら、初回1死一、二塁から清原を新球カットボールで遊ゴロ併殺打に仕留め、序盤から主導権を握った。最大のヤマ場は3-0で迎えた8回2死満塁で、打席に秋山を迎えた場面。カウント1-2と追い込むと、達川はインサイドへの真っ直ぐを要求する。が、川口は首を振った。

「違う違う、と何度も首を振って、投げるボールがなくなったとき、達川さんから“カット”のサインが出たんです。それそれ! と思い切り腕を振った」
川口はベンチに入れると告げられる

 ところが、力んだぶん手元が狂ったのか、秋山の身体から逃げていくはずの勝負球はスライダーのような軌道を描き、外角からストライクゾーンへ入っていった。

「いまで言うバックドアになったんです。あんな球、もう一度投げろと言われても、絶対に投げられないでしょう」

 予想外のコースから入ってきたストライクに秋山はまったく反応できず、呆然と見逃し三振。最大のピンチを脱した瞬間、達川は天に向かって両手を突き上げた。

 王手をかけて戻ってきた西武球場での第6戦を前に、川口は首脳陣からベンチに入れると告げられる。そのとき、「えっ、どうして?」と、川口は思った。

「ぼく自身はてっきり、次は第7戦の先発だと思っていた。結果的には雨で日程が1日延び、中3日でいけたんですよね」
「何故おれじゃなくて川口なのか」

 そして、広島の運命が暗転したのは1-1の同点で迎えた6回。3番手の金石昭人が1死二塁にされると、ブルペンの川口に投球練習の指示が飛ぶ。が、中1日で肩が上がらない川口は、サロメチールを塗ってもらわなければならなかった。そんな光景を見ながら、「何故おれじゃなくて川口なのか」と、大野は内心で首を捻っていた。

「ぼくはふつう、5回には肩を作っているから、いこうと思えばいける。あの試合ではもう石貫(宏臣)が2番手で投げていたから、左はぼくか川口しかない。もしあのピンチが6回じゃなく7回だったら、浩二さんもぼくを使ったと思うんですが」

 実はこのとき、その山本はベンチで大下剛史ヘッドコーチと押し問答をしていた。

「川口は明日でしょう」と主張する大下に、「川口でいく。きょうで決着をつける」と山本は譲らない。結局、大下が折れて、2死満塁で川口がマウンドへ向かった。

 西武の森が代打に送った右の鈴木康友を、川口は2球で0-2と追い込む。その次に投げたインハイへの直球が、西武球場独特の傾斜によって高めのボールゾーンに抜けた。川口が第2戦で感じた違和感が、一番の勝負どころで致命傷になったのだ。このボールを鈴木が左へ引っ張り、2点タイムリーとなって西武が勝ち越し。川口は3球で降板し、この回一挙5点を奪われ、1-6で大敗である。

カープはすぐにまた日本一を狙えると思っていた

 逆王手をかけられた広島のショックは大きく、第7戦も1-7と一方的な展開でまたもや日本一をさらわれた。ちなみに、この試合で本塁打を放った秋山は、5年前と同じバック宙を披露している。

 川口はいま、「第6戦の試合前に、浩二さんから一言あれば、ぼくの気持ちも変わっていたんですが」と振り返る。「いざとなったら川口で勝負をかける」と監督直々に言われていたら、もっと前向きな精神状態で登板していたはずだ、というのだ。

 しかし、「何を言ってもすべては“たられば”だから」と大野は言う。

「第6戦の継投は失敗だったと、いまでも言われるよ。でも、それを言うなら、その前に北別府が投げて、0-1で負けた第3戦を勝っておけばよかったんです」

 第7戦の敗戦投手・佐々岡は、「当時のカープは強かったから、すぐにまた日本一を狙えるチャンスがくると思っていた」という。が、現実にそのチャンスが訪れるまでには、当時の選手がみんな引退し、若手の緒方孝市が監督となった25年後の2016年まで待たなければならなかった。
(「Sports Graphic Number More」赤坂英一 = 文)

v47***** | 23時間前
あそこでの川口の登板は子供ながらに、エッ!と思ったのを覚えてる。
ハマってれば名采配だったんだろうけど、あそこで我慢して第7戦にかけてれば結果も違ったかもしれませんね。
でも、ああいう起用があるから日本シリーズは面白かったんだと思う。

パリーグが強いせいか、CSのせいか、最近はあの頃の緊迫感とか勝負の駆け引きが日本シリーズにはなくなった感じがする。
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go1976 | 23時間前
広島も強かったんだよ
ただ、西武がもっと強かっただけ

85年の阪神は西武に勝ったけど、クリーンアップが全員3割30本100打点って打ちまくってた超強力打線

あとは何シリーズかで接戦を演じた野村ヤクルトが五分五分の戦いをしてたかな
杉浦のサヨナラホームランが印象的

巨人はカモにされてた感がありますね
思い出されるのは清原の嬉し泣きと、辻のランナー一塁からセンター前ヒットでホームイン
当時三塁コーチの井原さんがクロマティの緩慢な守備は狙い目だと作戦立ててたらしいが、レベルが違いましたよね
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amt | 1日前
この時もまた秋山のバック宙ホームインで決勝点を取られ負けました。あの悔しさが残っていたから、秋山監督率いるソフトバンクを倒して日本一に輝くのが夢だった。

だけど、今は工藤監督。
思えば、工藤公康にはずっと負けっぱなしだわ、カープは。
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tsu***** | 20時間前
とても良い記事ですね。感動しました。
世間的に全くと言って良い程、注目されていなかった
1991年の日本シリーズですが、蓋を開けてみれば第7戦まで
もつれ込みました。

投手心理は本当にデリケートですね。
川口さんは投球スタイルそのままの闘志むき出しの性格で、
大野さんは穏やかな性格と思っていたのですが、
やっぱり投手ですね。2人ともプライドが高く負けず嫌い。

個人的で勝手な意見になりますが、やっぱり日本シリーズはデーゲームが良い。
あの西日に照らされた球場がもう一度見たいものです。
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野球大好き | 22時間前
森監督は著書で、この川口の第6戦と、次の第7戦の起用について「ありえない」と語っていました。第6戦では川口と相性の良い鈴木康友を代打に送りヒット。第7戦は1対1の5回に佐々岡の後に川口が登板しすぐに2点取られました。「もう川口に力は残ってなかった」「川口の起用法は間違えている」と書いていました。
山本監督は昔の稲尾や杉浦の様な獅子奮迅の活躍を川口に期待したのだと思いますが。
翻って、1979年の日本S。江夏の21球のシリーズですが、近鉄は第1戦井本、第2戦鈴木で勝利。この後、第4戦第5戦で両投手が負け投手になります。
初戦で2投手が通じることが判ったのだから、無理させずにそれぞれ第5戦第6戦に起用していたら、シリーズの結果が違っていたんじゃないか?と森さんは盛んに言っていました。
ただ当時は強行登板が一般的で、近鉄は第6戦井本第7戦鈴木と、結局7戦中6戦を両名の先発で戦いました。
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匿名 | 22時間前
1991年も2016年も勝ち急いだのが敗因。
やっぱり7戦トータルで考えないと。
第5戦に川口が先発し、森は「これで勝った」と内心ニヤリとしたと聞く。
2016年も1,2戦と連勝し、圧倒的優位に立ちながら、全試合勝ちに行き、今村、ジャクソンを全試合に登板させ、最後はリリーフが崩壊した。
福井、大瀬良、ヘーゲンズをほぼ使わずに終わったのは悔いが残る。
ジョンソン、ノムスケを6,7戦に温存してれば、結果は変わったはず。
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アリやん | 23時間前
森さんは違った見方をしていたよね。

実際に広島カープは佐々岡監督を1、4、7戦に先発させ、2、5戦を川口さんで6戦を金石さん先発で継投策だったが森さんは佐々岡監督を1、5戦で川口さんを2、6戦で使っていればイヤだったと自伝で書いていたよね。

つまりは森さんの日本シリーズの戦い方は常に第7戦まで戦う用意をしているんだよね。

どんな相手であろうが。

だから日本シリーズに6度も勝てた。

広島カープが日本一になれないのはこれが大きいと私は見ている。

当時の大下さんはあの第6戦の話を後日再会した森さんにしたら森さんに叱られたらしい。

あれはないよなと。

これは2016年の日本シリーズにも言える。

あの日本シリーズで広島カープは先発ローテーションと中継ぎを間違った為に地元連勝スタートしたがそのあと4連敗して敗れ去った。

第7戦まで想定した戦い方をしなかったから負けたと今でも思うね。
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yas***** | 21時間前
第五戦を勝って、次は西武球場へ臨む決意を「勝って帰りますんで」と監督インタビューで山本浩二が宣言した時、少し不安がよぎったものだ。
監督は焦っているなあと。
残り二試合で一勝すればよいという腹のくくり方が出来なかったんだな。大下ヘッドの進言を退けて肩の回復が微妙な川口をリリーフに送り、鈴木に適時打を浴び、あのショックは計り知れないほど大きかった。
短期決戦は勝ち急いじゃダメなんだよ。
攻撃型外野手監督の難しさを思った。
七戦主義で、特俵まで追い込まれても平然と戦える監督と目の前の勝ちに飛びつく指揮官の違いが出たシリーズだった。
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s0c***** | 18時間前
過去を振り返ることは悪いことではないけど、今でもカープ関連の、1986年、1991年の日本シリーズのことをたらればで振り返ったり、80年代の黄金期を美化する記事が定期的に出るのは、結局、1984年以来日本一になってないから
3連覇中に1回も日本一になれなかったのは、やはり球団にとってもファンにとっても大きい
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甲府 | 1日前
新宿駅の特設売り場に朝5時から並んで、なんとか取れたのが第6戦。
カープファンの友人は「意味ないよ。第6戦までなんかいかないわ(苦笑)」とガッカリ。
そのくらい、当時のライオンズは強敵でした。

三塁側後方のスタンドから見た、ブルペンからマウンドに向かう34番の背中。
映画のワンシーンのように格好良かった。
失敗継投だったのかもしれませんが、忘れられない光景です。

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