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2021 06/12

広島・ベストナイン受賞の“珍事”の主人公、伝説の“鉄腕”に並ぶ記録を持つ左腕がつけた、ジンクスとは無縁⁉︎のナンバー【カープ背番号の系譜】


引用元

 背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。 


 今回のテーマとなる背番号は「49」。日本では「4」や「9」といった数は縁起が悪いとされることもあるが、こと背番号の世界においてはそういったジンクスとは無縁のようで、どの球団でも「4」も「9」もそして「49」も、普通に使われている。

 一方でカープの「49」の歴史を見ると、使用者のない「ブランク」の年が多いことが分かる。球団創設から今季までの72年間の中で、使用者がいなかったシーズンは20に及ぶ。全体の3分の1に近い割合となっている。もちろんジンクスのせいなどではないが、その周辺の背番号にはない特徴だ。

◆日本プロ野球シーズン最多登板タイ記録を達成した左腕

 特に吉岡厚司(1976年)、平岡一郎(1977年)、門田純良(1979年)、下地勝治(1980年)と4人連続で使用者が引退した後は、1981年から1988年まで8年間にわたって、誰もこの番号を着けていなかった。ただし1989年にアレンが背負って「復活」して以降、ブランクは2007年の1年のみ。現在は“通常営業”と言っていいだろう。

 その「復活」以降の選手でまず取り上げたいのは、1994年に「26」から変更してきた菊地原毅だ。神奈川県出身の菊地原は1992年のドラフト会議で2位指名を受けてカープに入団。業務提携を結んでいた台湾・時報イーグルスに派遣された1995年を挟み、翌1996年まで4年間は国内での一軍登板はならず。

 結局「49」を背負っていた1999年シーズンまでは大きな活躍できなかったのだが、調子を上げて背番号を「13」に変更しての2年目、2001年にブレイク。貴重な中継ぎ左腕として78試合に登板し、稲尾和久に並ぶ当時の日本プロ野球シーズン最多登板タイ記録を達成したのだ。だが翌年は失調し、2004年限りでオリックスに移籍。2011年にカープに復帰し、2013年限りでの引退までを過ごした。

◆助っ人外国人の馴染みの背番号に

 2000年に菊地原から「49」を受け継いだのが、前年から来日していたディアス。1999年の来日初年は背番号「2」で110試合に出場。派手な成績ではないものの好守で働きを見せた。この年、本塁打を放つも一塁走者を追い抜いて取り消されてしまうという珍事の主人公にもなっている。

「49」になってからの2001年にはほぼフルシーズン136試合に出場し、打率.304・32本塁打を放つなど打撃でも大きな成長を見せ、ベストナインも受賞する活躍。翌2002年も好調を継続したが、故障による失速もあり同年限りで退団した。

 2003年はハーストとランドクィストの2人が着けたが、ともに1年で退団。2004年にはこの背番号では6人目の外国人選手となるベイルが背負った。初年に11勝を挙げるなど活躍したが、2006年に故障もあって戦力外通告を受け、退団。2010年に復帰(背番号は「94」)したものの以前のような投球は見せられず、1年限りに終わっている。

◆「49」を託された広島出身のスラッガー

 2008年、「69」から変更したのが外野手の天谷宗一郎だ。2002年に入団してしばらくは実力を蓄える時期が続いていたが、「投手のベイルが着けていた番号だったから」ということで「49」に変えた2008年からいきなりブレイク。ブラウン監督に見込まれて開幕スタメン入りすると攻守に活躍。2013年以降は出場試合数も減り、2018年に現役を引退した。

 そして現在、この「49」を背負うのが正隨優弥。大阪桐蔭高校で甲子園優勝を経験し、亜細亜大学を経てドラフト6位で入団。2020年9月に代打で一軍デビューし、同月にはやはり代打で初本塁打も記録している。今季はウエスタン・リーグで好調な打撃を見せて5月に一軍昇格も、ほどなく新型コロナウイルス陽性判定を受けた。復帰した今、その分も取り戻す活躍が期待されている。

 最長記録(11年)の天谷以来、現在の正隨までは途切れることなく続いている「49」。冒頭では「4」や「9」のジンクスにも触れたが、実は「49」という数は、ラッキーセブン「7」の2乗でもある。正隨をはじめこれからの持ち主の活躍によって、「49」という数字のイメージもガラリと変わるかもしれない。

【背番号『49』を背負った主なカープ選手】
菊地原毅(投手/1994年-1999年)
エディ・ディアス(内野手/2000年-2002年)
ジョン・ベイル(投手/2004年-2006年)
天谷宗一郎(外野手/2008年-2018年)
正隨優弥 (外野手/2019年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。
広島アスリートマガジン編集部

コメント

⚾️ 49ersの影響もあってか、49番は外国人がつけるとカッコいい。って言うか、余談だけど、よく活躍すると背番号を1ケタとか入団時から変更する選手が多いけれど、個人的には最初にもらった背番号を大事にする選手が好きだな。イチローみたくね。最近はファンもレプリカユニは必須アイテムだから、巨人のようにやたら毎年変更されるとホントに困ると思うな。

⚾️ 暗黒時代は菊池原の登板記録、そして天谷のホームランキャッチ(その半月前にも赤松が同じくベイスターズ戦でホームランキャッチ。投手はいずれも齊藤悠葵)くらいしか話題にならなかったな。

他にはブラウン監督がベースを引っこ抜いて投げたり、内野5人シフト、ボール犬のミッキー君とかね。

⚾️ ディアスはホームランを打てるバッターなのに内野を全部守れる器用さも魅力だった。
01年はセカンドでベストナインだったしな。

⚾️ この49という数字、単純にカッコいいと思う。
正随は活躍してこの番号を代名詞にしてほしい。

⚾️ 下地懐かしい。

田辺・下地のドラフト獲得で
当時凄く期待したもんだ。

⚾️ アレンはどうした、アレンは?

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