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2021 06/25

広島・「どうすれば、カープが強くなるか?」元カープ石原慶幸が黒田博樹氏、新井貴浩氏から学んだこと。


広島アスリートマガジン

 カープの捕手として19年間活躍し、2016年からリーグ3連覇にも大きく貢献した石原慶幸氏。本稿では、石原氏初の著書『野球人生を変えた たった1つの勇気~18.44mのその先に~』の構成を担当したスポーツライター・キビタキビオ氏が、石原氏著書を元に、同氏独自の“コミュニケーション術”に迫っていく。

【写真】オンラインイベントで爆笑トークを繰り広げた元カープの石原慶幸氏と新井貴浩氏

 第2回目の今回は、石原氏の野球人生において欠かせない、2人の偉大な先輩との秘話をお送りする。

◆金本の移籍により縮まった新井との距離

 広島東洋カープ一筋19年。石原慶幸が歩んできた道のりは、カープが長い低迷期を脱してセ・リーグ3連覇の栄冠をつかむ過程とほぼリンクしている。

 石原の中で、特に若い頃からの成長を実感したのは、とりわけコミュニケーションのとり方にあった。

 石原にとって、黒田博樹と新井貴浩という偉大な先輩と出会えたことも幸運だった。タイプは違うが、熱い情熱をもって野球と接する2人の姿勢は、大いに手本となった。

 そもそも、石原がプロ入りした際、頼りになるはずだったのは、東北福祉大の大先輩である金本知憲だった。ところが、石原が1年目のシーズンを終えたばかりの2002年オフ、金本はフリーエージェント宣言をして、阪神に移籍してしまった。

 翌年、金本去りし後の1軍に定着した石原によく声をかけてくれて、食事にも連れて行ってくれたのが新井だった。後年になって石原も知ったが、金本は移籍の際、新井に「石原の面倒を見てやってくれ」と言い残していた。金本の移籍が石原と新井の距離を縮めた格好だ。

 新井はベンチにいるときも、場を和ますような会話で石原をよく巻き込んだ。

 当時の石原にとって、一軍のベンチは年上の人だらけ。同じ捕手の倉義和にしても、ポジションを争うライバルであり、4歳年上の先輩で恐れ多いという部分もあって、当初はまともに話をしたことがなかった。

 そんな状況を持ち前の明るさで変えてくれたのが新井だった。

【新井さんは倉さんの1学年下なのだが倉さんをいじっていた。その場に僕がいると、「おい、お前もちょっと言えよ」と、そそのかしてくる。そして僕がバカ正直にその通りに倉さんをいじると、そこは先輩なので倉さんからゲンコツが飛んできて、みんなが笑う。新井さんと僕で倉さんをいじるというのが定番だった。でも、そのおかげで倉さんと打ち解けた関係となり、後輩として仲良くしてもらうようになった。】

 2006年にマーティー・ブラウン監督就任した当初、石原が懐疑心を抱いて意思疎通が図れず悩んでいたところ、背中を押してくれたのも新井だった。 

 ときには、とぼけた言動をすることもある新井にツッコミを入れながらも、石原は「人類みな兄弟」とばかりに誰とでも分け隔てなく距離を縮めていけるコミュニケーション力を見習うようになっていった。

◆黒田の野球を深く追求する姿勢に尊敬の念を抱く

 石原にとって、新井が兄貴に近い存在だとすれば、黒田はプロとしての姿勢に尊敬の念を抱いた憧れの存在だ。

 石原が新井に誘われ、複数人で食事に行くようになると、そこにはすでにカープのエース格だった黒田が一緒にいることが多かった。

 若手時代の石原は、試合で受けた投手と、後日、気がついたことについて話し合うようにしていた。黒田の登板後にも話を聞きにいくと、1球ごとに深い意図をもって投げていることを教えられた。

 それだけではない。「お前はどう思う?」と逆に質問され、難しすぎて答えられないこともあった。

 そんな黒田と新井に連れられて食事に行くと、最初から最後まで野球の話ばかりだった。そして、最後は「どうしたら、カープは強くなるか?」に行き着く。若い頃の石原が2人の話に割って入ることなどできなかったが、熱い議論を交わす姿を間近にして常に思っていた。

【そこにいるだけでも幸せで、2人の話を聞くだけでも本当にためになることばかりだった。「自分ももっと頑張らなくては!」と刺激され、身が引き締まる思いになっていた。 僕にとってはまさに“宝の時間”だった。】
◆2人がカープを離れていた時期に変化した石原の立ち位置

 そんな偉大な先輩ふたりとの交流も、プロ野球の世界ではそう長くは続かなかった。

 2007年のオフ、黒田は海を渡りメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースへ、新井はFA権を行使して阪神へそれぞれ移籍した。

 その後の石原は、精神的支柱だった2人がいなくなったあと、チームのリーダー的な役割を期待されるようになり、苦悩することもあった。入団以来、カープが長くBクラスに低迷していたことに責任も感じていた。

 2009年に第2回ワールド・ベースボール・クラシックで日本代表に選ばれたり、2010年には国内フリーエージェント権を取得してカープ残留を決めるなど、これまでにない貴重な経験もしている。

 2010年のシーズンからは共にプレーをした野村謙二郎監督が就任。選手の世代交代を一気に進めた。

 前田健太、野村祐輔、菊池涼介、丸佳浩といった若手が年ごとに台頭してくる中、同じ捕手の會澤翼が若手ながら一軍に定着するようになると、石原はこれまでの後輩との距離感について見つめ直し、以前よりも積極的にコミュニケーションをとるようになっていった。

 こうしたタイミングで迎えた2014年オフ。思いがけぬ流れが重なり、黒田と新井が揃ってカープに復帰するという奇跡が起きた。

 数年ぶりに石原とチームメイトになった2人は、外で様々な経験をしてきたにもかかわらず、基本的な姿勢に変わったところは一切なかった。

「どうすれば、カープが強くなるか?」

 3人で食事をしていると、行き着くところはやはりその話になる。

 まったくブレない先輩の会話を石原は若手の頃と同じように聞き入ることが多かったが、以前とは違い、話の内容についていけるし、自分の意見も言えるようになっていた。

 チームは若返りが進み、黒田と新井が以前カープに在籍していたときを知る者は少なくなっていた。石原は2人と若手の間をつなぐ役目を買って出るようになる。

 また、石原自身、ベテランの域に入りつつあり、気づいたことを率直に進言してくれる人が身近にいなくなっていた中で、自分を律してくれる2人の復帰は、自身を初心にかえらせてくれた。

 偉大な先輩とのコミュニケーションは、石原にとって貴重な“道しるべ”となり、進むべき方向性を導いてくれていた。カープが念願のリーグ優勝に向けて躍進する準備が、いよいよ整いつつあった。

(vol.3に続く)

◆著者プロフィール
キビタキビオ
1971年生まれ、東京都出身。2003年に『野球小僧』(白夜書房)にて、野球のプレーをストップウオッチで計測・分析する「炎のストップウオッチャー」でライターデビュー。同誌の編集部員となり約9年務めたあと、2012年春からフリーとなり、雑誌記事の取材・執筆や書籍の編集協力・構成等に携わる。『野球人生を変えたたった一つの勇気~18・44mのその先に』(石原慶幸/サンフィールド)では構成を担当。『球辞苑』(NHKーBS)などのテレビ番組やイベントにも出演する。

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