2019
06/08
土

プロ初安打は5月12日、地元広島市民球場での巨人戦だった。6対3の3点リードで迎えた7回裏、1点を追加し迎えた二死一塁で代打に指名され、右腕のホセから右前打を放ってチャンスを拡大した。嬉しかった。
当初は雰囲気に飲み込まれ、緊張してプロのスピードに圧倒されていたものが、その頃には何とか対応できるようになっていた。

野村(謙二郎)さんには試合後、プロで一歩を踏み出した祝いに食事に連れて行ってもらった。
「おめでとう。どうだった?」
「すごく球が速かったです」
即座にたしなめられた。
「オマエ、そんな寂しいことを言うな。もっと速い投手はたくさんいるぞ」
ハッとした。たとえ速く感じたとしても、プロなら言葉や態度には絶対に出すな。もっと自分に自信を持て──。野村さんは、そう言いたかったのだと思う。以来、打席では表情に出さず、どんな時でも自信満々に振る舞うように心掛けた。意識が変わった。
待望の初アーチは6月6日だった。浜松での中日戦。ヒザを痛めて欠場した江藤(智)さんに代わり、僕は七番・ファーストでプロ初のスタメン出場を果たした。相手の先発投手は、初打席で対戦した左腕の野口(茂樹)さん。場面は、1点を返して2対3となった4回表だ。なおも無死一、三塁の絶好のチャンスで打席が回ってきた。
ただでさえ緊張するプロ初スタメン。大下(剛史)さんからは常々、「ストライクは全部振れ。見逃したら許さんぞ!」と言われていた。その打席、ガチガチだった僕はファーストストライクの甘い球にバットが出なかった。
痛恨の見逃し。「ヤバい……」と思う間もなく、怒声が飛んだ。「バカたれ。何をやっとるんや!」地方球場はベンチと打席が近い。大下さんの怒鳴り声がやけに大きく聞こえた。
相手投手ではなく、まさにベンチと野球をしている感覚。動揺した僕は、あろうことか次のクソボールを空振りしてしまう。
「このくそバカが!」
再び怒声が響き渡る。
「次、もし見逃したら殺される……」
精神的に追い込まれ、半ば目をつむって次の投球にバットを出した瞬間、手のひらには今までにない手応えを感じた。
敵地の左中間に飛び込む逆転スリーラン。無我夢中で必死に打ったプロ1号だった。ダイヤモンドを1周してベンチに帰ると、大下さんはニコリともしない。喜んでいると思うのだが、逆にめちゃくちゃ怒られた。照れ隠しなのか、ほめると僕のためにならないと思ったのか、ウソのような本当の話だ。
話には続きがある。
次の打席では、2番手の川上憲伸さんのストライク2球を見逃してしまい、また怒鳴られた。試合後のメディアの取材には「初ホームランは嬉しいけど、次の打席で右投手のストライクを2球見逃したのがダメです」と答えた。本音だった。
反省が多く、ちょっぴりホロ苦いプロ初スタメン。それでも、このプロ1号は思い出深い。なぜなら──。
駒大の太田(誠)監督の出身地・浜松で打てたからだ。4年間、グラウンド内外でたくさんのことを教わった恩師。野球選手としてだけでなく、人として、男として、立派にならないといけない、と常に言われた。太田監督の指導のおかげで今がある。
電話で報告すると「知っているよ。よかったなぁ。これからも頑張れよ」と喜んでくれた。嬉しかった。同時に、少しだけプロでやっていく自信がついた。
(文:新井貴浩)
※本記事は書籍『ただ、ありがとう 「すべての出会いに感謝します」』(ベースボール・マガジン社)からの転載です。掲載内容は発行日(2019年4月3日)当時のものです。
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