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2019 06/09

広島・第3回 新井さんが41歳までプレーできた原点 猛練習、罵声、正座でファンから失笑も…す

引退セレモニーでチームメイトから胴上げされる新井氏。41歳までプレーできた理由は?

 1年目は53試合に出場。打率は.221だったが、一軍に居続けたことで数多くの収穫があった。一軍の1打席と、二軍の10打席なら、一軍の方が勉強になり、自分自身の血や肉になる。当時はそこまで思いが及ばなかったけれど、大下(剛史)さんは当然、そういうことも考えていたと思う。「コイツを一軍で使い、何とか経験を積ませてやりたい」。そんなふうに考えてくれていたと思う。

 打率こそ低かったが、7本のホームランを打ったことで、僕はメディアから「将来の四番候補」と書かれるようになった。1年目のオフ、江藤(智)さんがジャイアンツへFA移籍したからだ。カープの四番を長く務めた長距離砲。その後任候補に名前が挙がり、「ポスト江藤」とも言われた。

 サードで猛練習した。それも言われるがままだった。いつだったか、大下さんから、グラブの網の部分、いわゆるウェブを取り除くように命じられた。意図はわからなかったが、言われたら従うしかない。以来、網のないグラブを持ってノックを受けた。当然、打球なんて捕れるはずがない。開幕後も練習を続けていた。

 そんな時だ。遠征でやって来たヤクルトの宮本慎也さんに声を掛けられたのは。
「オマエ、そんなグラブで何してんの?」

「いや……、グラブのウェブを外せと、コーチに言われまして」

「ハァ? なら、オマエ、グラブのどこで打球を捕るんや?」

 答えに窮した僕は、手のひらを指さしながら「ここら辺で……」

「そこはポケットと違うで。その練習は、全く理にかなっていないし、やる意味もない。何をやってんだ、オマエは」

 宮本さんは、僕をルーキーの時から見てくれていたのだと思う。当時のことは今でも覚えており、この話をよくする。

「新井は若い頃、変な練習をしていたよなぁ。素手でゴロを捕ったりさぁ。ケガしたらどうするんや?」

 僕も一緒に笑うしかない。

 思い起こせば、入団からの数年間は朝から晩まで練習した。いや、やらされた。一・二軍の試合が本拠地である時は、早朝の6時に起床し、山口県岩国市(当時は玖珂郡由宇町)にある由宇球場へ直行した。5~6回まで二軍の試合に出場し、そこから広島市民球場に戻って一軍のナイターにも出る生活。寮に帰ると22時、23時はザラだった。

 それに当時は自分でハンドルを握って通っていた。由宇まで片道約60キロ。自分の車に同期入団の東出輝裕を途中で乗せ、結構な距離を運転するとそれだけで疲れる。

 しかも、市民球場に帰り着くと、鬼の練習が待っているのだ。カープの練習が終わり、ビジターチームの練習が始まっても、グラウンドの片隅でゴロ捕球を課される毎日。終わったと思えば、食事を摂る間もなく試合前のシートノックが始まる。
 
 真夏の猛暑日は、地獄だった。昼間は灼熱のグラウンドで汗を流し、夜は睡魔と戦いながらまたスタメン出場。ぶっ倒れると感じたことは、一度や二度じゃない。

 でも、歯を食いしばって立ち向かっていった。自分で言うのは生意気だが、怒鳴られても殴られても、過酷な練習を課されても、最後まで必死にやり通した。

 他球団の選手たちは、僕のそういう姿を見ているわけだ。「かわいそうに」と思ったかどうかはともかく、宮本さんも「アイツ、何をやっているんだろう」から入り、僕という選手を認識してくれたのだと思う。「新井、頑張れ」とよく声を掛けてもらった。

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お客さんにもたくさん笑われた。一番恥ずかしかったのは正座だ。
 市民球場で親子ゲームがあると、一軍のスタッフがウエスタン・リーグの試合を観戦に来る。ある時、僕は2本か3本のヒットを打ち、一人悦に入っていた。

「よっしゃ、今日は打ったから、絶対に何にも言われんやろ」

 そう思ったのも束の間、マネジャーがやって来て、突然こう言う。

「新井、オマエ、ホームベースのところで正座しろ、と大下さんが言うとるぞ」

 訳がわからなかった。

「何でですか?」

「ストライクを見逃したからよ」

 見逃し三振ではなく、ストライクを見逃したから正座とは……。思わず絶句した。
 どんなに疑問に思っても、命じられた以上はやらないといけない。僕は市民球場のホームベース上でかなりの時間、正座した。二軍観戦に訪れ、球場に残っていたお客さんからは失笑が漏れる。
 そうこうしているうちに、ナイターでベンチ入りする一軍の選手がウォーミングアップのためグラウンドに姿を見せ始めた。

「オマエ、何しとるんや?」

 当然、笑われた。ようやく解放されるのは練習が始まる直前になってからだ。

「おい、アップに行け」

 この一言を聞くまで、どれだけ苦しかったか。聞く分には面白いだろうが、やっている本人はたまらない。

 こんなこともあった。
 ビジター球場では通常、チームの練習が始まる頃には開門され、お客さんがスタンドに入って来る。自分の練習が終わると、大下さんの罵声が飛ぶのだ。

「おい、新井、何をボーッとしとるんや。外野のフェンスで球当てして来い!」

 命じられるがままに、僕はレフトのポール際へ移動。お客さんの視線を感じながら、試合開始1時間ぐらい前まで、ひたすらフェンスに向かってボールを投げた。
 神宮球場では、外野まで付いて来た大下さんに怒鳴られながら、必死に球当てをやったこともあった。

「もっと声を出せ! 何べん言うたらわかるんや。バカか、オマエは」

 お客さんはみんな大笑いだ。
 恥ずかしい。だけど、やれと言われたら、やらなきゃいけない。そんな仕打ちを受けたのは、後にも先にも僕だけだ。

 なぜ厳しい環境から逃げなかったのか。よく聞かれるが、本能としか言いようがない。
 父と母は厳しかった。理不尽に怒られた記憶はないが、これをやれ、と言われたら、必ずやらなければならない。怖くて、絶対的な存在だった。ふて腐れず、下を向かず、命じられたことは最後までやり通す。そうした両親の教えや習慣が、厳しい練習に立ち向かえた原点かもしれない。
 よく、練習は自発的にやらないと意味がないと言われる。僕はそう思わない。半ば強制的にやらされた練習でも、継続すれば必ず身になる。41歳まで現役を続けることができたのは、やらされた当時の練習が下地にあったからだ。実体験として断言できる。

(文:新井貴浩)

※本記事は書籍『ただ、ありがとう 「すべての出会いに感謝します」』(ベースボール・マガジン社)からの転載です。掲載内容は発行日(2019年4月3日)当時のものです。

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