2019
06/10
月

「ポスト江藤」と目された2年目は、特別強化指定選手に指名された。さらなる地獄の始まりだったが、巡り合わせはラッキーと言うしかない。江藤(智)さんがジャイアンツへ移籍せず、そのままカープに残っていたら、今の僕はなかったことだろう。下手だけど、サードとファーストができ、前年に7本のホームランを打ったことで、僕に注目が集まった。前述した通りだ。
気持ちにも、余裕や自信が少しばかり芽生えた。1年目は不安しかなかったが、大下(剛史)さんにひいきされながら起用され、初ホームランや初ヒットを打つことができた。「レギュラーになれる」自信までは持てなかったが、「レギュラーを獲ってやろう」という前向きな気持ちで練習に励むことができた。
「空へ向かって打つ」
僕の代名詞にもなったこの言葉は、2年目の沖縄キャンプに臨むに当たって、メディアに何気なく口にしたものだ。
「大きなホームランを打ちたい」
入団後の数年間は、そう思っていた。それもフェンスをギリギリ越えるのではなく、特大のホームラン。観ている人が“あんなに飛ばすなんて、すごいな”と思えるアーチを掛けたい気持ちが強かった。そんな思いを込めて冗談ぽく言ったら、周囲に面白がられ、ひんしゅくを買ってしまった。コーチ陣からは「オマエはアホか」と言われ、金本さんにも「頭がおかしいんじゃないか」とたしなめられた。
別に受けを狙ったわけじゃない。当時の僕は、いわゆるアッパースイング。文字通りバットを下から上へ振り上げていたから、自然にそんな表現になったのだ。その年は出場92試合で打率.245。本塁打は16本に伸び、35打点を挙げた。
3年目の2001年は、野村(謙二郎)さんが前年に足を痛めたこともあり、念願の開幕スタメンを果たした。山本浩二さんが監督復帰した1年目。3月30日の中日戦、七番・サードで2安打を打った。4月19日の中日戦では4号、5号と2本のアーチ。だが、好事魔多しだ。
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あれは確かゴールデンウイークの試合。プレー中に左アキレス腱が痛み始めた。当時、一軍の寮は広島市西区三篠にあり、僕はそこの2階に住んでいた。
5月4日の朝。起きると、痛みがひどくなっており、階段を降りるのにも苦労した。足を引きずりながら、どうにか市民球場にたどり着くと、金本さんに声を掛けられた。
「どうしたんや、その足は」
「アキレス腱が痛くて歩けないです」
「今日の試合はどうするんや」
「出られないです。僕が出ることで、迷惑をかけてもいけないので」
すると、金本さんは強い口調で言った。
「オマエな、足が折れているわけじゃないやろ? 試合になったら動けるようになる。だから、絶対に出ろ。休むな!」
「いや、ほんと無理です……」
「知らんぞ。代わりに出たヤツが活躍したら、オマエは出られんようになるで」
当日のヤクルト戦。金本さんの忠告はありがたかったが、痛みで満足にプレーできるとはとても思えず、僕は山本監督やトレーナーと相談して休むことにした。すると、僕に代わって七番・サードで先発したエディ・ディアスが同点の6回に勝ち越し2ランを打った。6日の同カードでは、僕も7回に代打の代打で意地の同点3ランを放ったが、ディアスはその上を行き、何と3本塁打6打点の大活躍だった。以来、6月中旬までほぼ途中出場を余儀なくされた。
「休むんじゃなかった……」
後悔しても遅い。
「言った通りになったやろ。試合に出てさえいれば、座を追われることはないのに」
うなだれる僕に金本さんは怒った。
「相手には絶対、スキを見せたらダメや。チャンスを与えるのは、それだけ怖いことなんで。あれだけ言ってやったのに」
金本さん自身も、若い頃はケガが多く、チャンスを何度もつかみ損なったようだ。そうした苦い経験があるから、自分の座が奪われかねないスキは見せない。ライバルにはチャンスを与えない。休むことの怖さを知っていたから、連続フルイニング出場1492試合の世界記録を達成できたのだと思う。
「練習で2か3ができたら、試合では7か8ができる。アドレナリンが出るから体が勝手に動くんや。重症じゃない限りできる」
金本さんは後日、自身の経験談としてそんな話をしてくれた。実際にアキレス腱痛は軽症で、後年の僕なら間違いなく試合に出ただろう。当時の僕は甘かった。プロの厳しさを思い知らされる初めての経験だった。
この年は124試合に出場し、打率.284、18本塁打、56打点。数字では順調に成績が伸びているように見えるが、スタメン出場が74試合しかない上にチャンスに弱く、内容は全く満足できなかった。
(文:新井貴浩)
※本記事は書籍『ただ、ありがとう 「すべての出会いに感謝します」』(ベースボール・マガジン社)からの転載です。掲載内容は発行日(2019年4月3日)当時のものです。
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