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2019 06/13

広島・第7回 新井さんが最も思い出深い安打 「黒田さんのために」放った一打の背景

2005年、チームは最下位ながらも黒田氏(写真左)は最多勝、新井氏は本塁打王に輝いた

春のキャンプ中には、水本勝己(現広島二軍監督)さんに「この1年間、これだけは絶対に続けるというものを決めろ。オレも付き合うから」と言われた。当時はブルペン捕手としてチームに帯同しており、僕のことを何とかしたいと思ってくれていたようだ。

「1年間、ホームゲームの時は必ず練習前に特打します。付き合ってください」

 以来、本拠地で試合がある日は他の選手よりも早く球場へ行き、左翼側にあった狭い練習スペースで、軸回転を意識しながら、水本さんが投げるボールを必ず打った。雨が降っても、台風が直撃しても。移籍する2007年まで1日も休まなかった。

 まさに、継続は力なり。

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僕はそれを実感した。金本(知憲)さんから教わった軸回転。そして、水本さんとの打撃練習。継続することで技術が磨かれ、気持ちに張りが出て充実感を覚えるようになった。何事も続けることが大事だ。毎日の素振り、ランニング。何でもいい。継続すれば収穫や学びがあり、自信も生まれる。勉強や仕事にも通じることだと思う。

 分岐点となった2005年。開幕は東京ドームでの巨人3連戦だった。当然、僕はバックアップ要員。ただ、四番のグレッグ・ラロッカが2戦目に足を故障し、翌4月3日には六番・サードで先発機会が巡ってきた。
「絶対に打って結果を出してやる!」

 気合いが入っていた。相手が与えてくれた絶好のチャンス。金本さんの忠告を聞かず、ポジションを奪われた苦渋の実体験がある。逆の立場になった今、絶対にモノにしなければならない。1点を先制した初回から、強い気持ちをバットに乗せた。先発の久保裕也からレフトスタンドへ3ラン。会心の当たりだった。極めつきは1点を追う8回だ。二死一塁の場面で、シコースキーの外寄り高め直球を右中間スタンドへ運んだ。決勝の逆転2ランは節目のプロ通算100号。チームの勝利に貢献でき、最高に嬉しかった。

 これで何とか試合に出られるだろう。そう思ったが、現実は甘くなかった。

 その後も何度かスタメンを外され、5月21日の楽天戦で左の有銘兼久から代打満塁ホームランを打ったものの、翌日はベンチスタート。5月29日、敵地での西武戦でようやく先発に復帰したが、それもラロッカのケガがきっかけだった。
 7月3日、東京ドームでの巨人戦。待望の瞬間が訪れた。宿舎でのミーティング。「四番、ファースト、新井」と告げられた時、正直ドキッとした。場内アナウンスで同様にコールされると、左翼席のカープファンから歓声が上がった。実に感慨深い。

 燃えないわけがなかった。巨人の先発は桑田真澄さん。2点リードの3回、会心の当たりを見舞った。カーブを芯で捉えた打球はレフト上部の看板を直撃。推定飛距離150メートルの特大アーチだった。
 リーグトップに並ぶ21号。試合を観戦した巨人の長嶋茂雄終身名誉監督から「素晴らしい当たり。間違いなく40本打てる」と褒められたこともあり、強く印象に残る。

 シーズン最終戦には、最高に嬉しいヒットも打った。黒田博樹さんの最多勝タイトルが懸かった10月7日のヤクルト戦。同点の5回から黒田さんはマウンドに上がり、両軍2点ずつを取って迎えた終盤8回、一死一、二塁の場面で四番の僕に打席が回ってきた。

「黒田さんのために絶対に打つ!」

 気合いが入っていた。マウンドにはサイドハンドの吉川昌宏。ボールに集中し、思い切りバットを振り抜くと、打球はライト線で弾んだ。2人の走者が生還するのを見届け、三塁ベースに滑り込んだ瞬間、思わずガッツポーズが出た。勝ち越しの2点三塁打。黒田さんも右手を挙げて喜んでくれた。

 僕は現役生活20年間で通算2203本のヒットを打っているが、この1本が最も思い出深い。自分ではなく、誰かのために仕事をする。それを喜んでくれる人がいる。

ホームラン王のタイトルを獲得

 誰かのために何かをすることが、これほど嬉しいことだとは思わなかった。初めての経験。黒田さんの初タイトルにつながり、僕自身も最高の気分だった。その年は先発四番の47試合を含め、出場142試合で自己ベストの打率.305をマーク。長嶋終身名誉監督の予言? 通り、最終的には43本塁打を打ち、僕もホームラン王の初タイトルを獲ることができた。

 ただ、チームは最下位に沈み、山本(浩二)監督は責任を取って退団した。お世話になった歴代監督の中でも一番苦労をかけ、迷惑を掛けたのが山本監督なのは間違いない。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 翌2006年にはマーティー・ブラウン監督が就任。この出会いも僕にとっては大きく、新しい発見が多々あった。
 新指揮官は開口一番こう言った。

「野球は点取りゲームだ。ホームランを打つゲームじゃない。ホームランを打たなくてもいいから、100打点を目指してくれ」

 タイトルを獲った前年は43本塁打を打ったけれど、打点は94。本塁打数の割に少ないと思っていた。加えて当時は、遠くへ飛ばしたいという思いはあっても、自分はホームランバッターじゃないと感じ始めていた。
 天性の長距離打者は、打球に独特の角度を持っている。滞空時間の長い放物線を描く一定の入射角。僕にはそれがない。

 100打点を目標に掲げ、バッティングのスタイルを変えた。前のポイントで打っていたのを近くに置き、センターから逆方向への意識を持ちながら、引き付けて打つ。バットの振り幅もコンパクトにした。結果、2年連続で目標をクリア。このスタイル変更は、後の野球人生に役立った。

(文:新井貴浩)


※本記事は書籍『ただ、ありがとう 「すべての出会いに感謝します」』(ベースボール・マガジン社)からの転載です。掲載内容は発行日(2019年4月3日)当時のものです。

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