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2019 07/11

広島・「小園海斗」を育んだ親子の絆 アスリートの両親だから伝えられたこと



 50メートル5秒8の俊足であることをはじめ、身体能力が抜群に高い広島・小園海斗。そんな海斗に、「その運動神経は誰から受け継いだのか?」と聞くと、真っ先に、「お母さん!」と答えた。続いて、「あ、お父さんからも!」と。

 そう、海斗の両親は、二人ともアスリートだった。

・【後編】「日本一の遊撃手になる」 小園海斗は両親の応援を胸に突き進む

 父・考志さんは陸上競技の選手。足がめっぽう速く、走り幅跳びの選手として高校時代に活躍し、大学ではインカレにも出場している。

 高校時代は、日本陸上短距離界のスターで、2008年北京五輪・リレー種目の銀メダリストにもなった、朝原宣治さんがライバル。高校まで幅跳びの選手だった朝原選手としのぎを削り、兵庫県の代表合宿にも共に参加する間柄。「1つ下に朝原がおったから1位になれんかった」と笑う考志さん。朝原さんが1位、1つ上の学年の考志さんが2位ということが多々あった。

 一方、母・こず江さんは、埼玉県の本庄女子高(現・本庄第一高)のサッカー部で活躍。50メートルを6秒前半で走るスーパー俊足女子で、MFとしてチームを全国3位にまで導いた。なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)のゴールキーパーとして活躍した山郷のぞみ選手とは、高校のチームメートだった。

 高校卒業後は、なでしこリーグの前身、L・リーグ(日本女子サッカーリーグ)の旭国際バニーズ(現・バニーズ京都SC)と契約。MFとして4年間活躍した。

 そんなこず江さんが、あるときケガをしてしまい、所属先の旭国際が経営するゴルフ場でリハビリをしているとき、プロゴルファーを目指し、そのゴルフ場に練習生として来ていた考志さんと出会った。

 数年後、結婚。

 そんな俊足アスリートの二人から生まれたのが、小園海斗だった。



 生まれたときから、とにかくよく動き、9カ月で歩き出し、それからも、タッタタッタと歩き、活発に走り回る海斗。すばしっこく、活発すぎる海斗を追いかけるのは、俊足の母・こず江さんでも大変だったという。

 父がやっていた陸上かゴルフ、母がやっていたサッカー、そのどれかの競技をしていてもおかしくないが、「気付いたらバットを持っていましたね」とこず江さん。こず江さんがつけていた育児日誌によると、何と、生後9カ月のところに「父と(ゴムボールで)キャッチボール」と記されているから驚きだ。

 プロゴルファーになる夢をあきらめ、一時期サラリーマンをしていた考志さんは、「体を治す仕事をしたい」というもう一つの夢に向かって学校に通い、海斗が2歳のとき、宝塚市内で整体院を開業。そこから山に向かった自然豊かなところで海斗は育った。

「自然豊か……というかイノシシが出てきちゃうぐらいのところで、目の前には山。海斗は山の中を毎日毎日走り回っていたので、足腰もそれで鍛えられたのかな」とこず江さんは話す。

 小学生になると、地元の宝塚リトルで野球を始めた海斗。「野球のことはまったく分からなかった」と言う両親だが、「自分たちにできることで支えていこう」と後押しする。

 こず江さんは、グラウンドまでの送迎。考志さんは、平日の自主練習と、研究熱心な海斗の相手チーム分析に付き合う。

 リトルで教わってきたことを平日の自主練習で何としても自分のものにしようという、向上心が高い海斗は、自分の打撃フォームを動画撮影しては、それを家で見て修正する。父に「どう?」と聞いて、父が「ここがこうなってるからこうしたらいいかも」と答える。「こうならどぉ?」「いいね」。フォームが崩れると、いいときのフォームの動画を見て、また練習。その繰り返し。

 負けず嫌いでもある海斗は、相手チームの分析にも余念がなかった。次の試合の対戦相手が決まると、相手チームの試合のDVDを引っ張り出してきて、ピッチャーがこうだ、バッターがどうだ、と研究しまくる。そのピッチャーを想定して外でシャトル打ちもする。そこまで付き合っていたのが父だった。

「近所に野球を一緒に練習する相手がいなかったのもありますが、いつも父と一緒。二人は本当に仲がよくて、いつも『練習だー』『相手分析だー』『よし、もう一回練習だー』ってやっていましたね」とこず江さんは振り返る。



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 宝塚リトルの指導者にも、厳しく、そして高いレベルの野球を叩き込まれた海斗は、リトルを終えた中学1年生の夏、中学野球界屈指の強豪、大阪の枚方ボーイズの見学に行く。そこに先に入部していたのが、藤原恭大(大阪桐蔭高−現・千葉ロッテ)らそうそうたるメンバー。

「この高いレベルの中で野球をやりたい」と思いつつも、「宝塚からだとちょっと遠いし、どうしようか……」と悩んでいた海斗に、当時、枚方ボーイズの監督だった鍛治舎巧さん(現・県立岐阜商高監督)から「ここで野球をやったら野球人生が変わるぞ」と声をかけられ、海斗は「やる!」と決めた。

 グラウンドまでは車で片道1時間10分の距離。渋滞すると、1時間半を超えることもある。その送迎をするのは母。入団した1日目の野球ノートの1ページ目に“日本一のショート”と書いた海斗とともに、こず江さんも覚悟を決めた。そして、3年間、すべての往復を送迎した。

 行きの車の中では寝ていることが多かったそうだが、帰りはよく話をしたという。今日の試合でこうだったとか、あそこではこうしたかったのにどうだとか、誰がどうだったとか……。こず江さんは「大変だったというより、いろんな話ができて楽しかったです」と振り返る。

「野球については何も分からないので指導者に任せっきりでした」というこず江さんだが、挨拶や礼儀について、また、野球に取り組む姿勢などについては、ことあるごとに気付いたことを海斗に伝えていた。

「母からは、小学校のときからずっと、『周りの人に感謝してやっていこうね』とか『一つひとつのプレーにこだわってやろうね』と僕に足りないところをいろいろ言ってもらいました。仕事としてサッカーをやっていた母だからこそ分かることもあったと思うし、言われないと気付けないこともあるので、それを自分に伝えてくれていたのはホントにありがたかった。自分を作ってもらったなと思います」



 また、団体競技をしていたアスリートとして、仲間や対戦相手を思いやる気持ちも母が教えた。

「小さいときからショートをやりたくて……。それ以外のポジションで起用されると態度に出ちゃうこともあったんです。そんなときはかなり厳しく言いましたね。『野球は自分だけでやるんじゃないよね』『試合に出られない選手もいるんだから、そういう仲間の気持ちも考えてプレーしようね』っていうような話ですね」

 というのも、こず江さんは高校までは中心選手として活躍できたが、L・リーグに進んでからはスタメンで出られることも少なくなり、試合に出られない悔しさ、遠征があっても連れて行ってもらえず、居残りで練習するつらさも知っていた。母がそういう経験をしていたことも分かっていた海斗は「そやな」と素直に聞き入れるのだ。

 こず江さんもそうだが、考志さんも「こうしなさい」などと押し付けるように言うのではない。「こうした方がいいよね」と語りかけて話す両親に、「分かった」とちゃんと聞ける海斗。これは、持って生まれた性格ももちろん、アスリートだった両親を尊敬する海斗と、子どもである海斗を尊重する両親、そこに大きな信頼関係があったからこそのことだろう。

 そんな両親のサポートもあり、またレベルの高い指導もあり、グングン成長した海斗は、枚方ボーイズでも主力として活躍し続ける。中学3年生になる春休みに行われたボーイズリーグ春季全国大会で優勝。夏はベスト4、中学硬式野球NO.1を決めるジャイアンツカップでは初戦敗退を喫するも、その後、日本代表に選ばれ、U-15アジアチャレンジマッチへの出場も果たした。



 中学時代に日本代表に選出されるほど力をつけた海斗が、次のステージとして選んだのが、報徳学園高。他府県の高校からも誘いがあった中、報徳学園高を選んだ理由について「兵庫で育った海斗には、地元・兵庫の高校で第100回の夏の甲子園に出たい、という強いこだわりがあったようです」とこず江さんは話す。

 中学3年生の3月末、高校の練習に参加できるギリギリまできっちり自主練習をしていた海斗は、入学早々ベンチ入りし、あっという間にレギュラーに。1年夏の甲子園出場はならなかったが、1年秋の兵庫大会で準優勝、近畿大会でもベスト8入りして翌春の選抜甲子園出場を決める。

 初めての甲子園では、1回戦、多治見高戦でのホームランを含む18打数9安打という好成績でベスト4入りに貢献。一躍全国に“小園海斗”の名前をアピールした。

 同年夏の兵庫大会では準決勝で敗れ甲子園出場はならなかったが、2年生ながら藤原恭大(大阪桐蔭高)とともにU-18日本代表に選ばれ、カナダで行われたワールドカップに出場する。1学年上の清宮幸太郎(早稲田実高−現・北海道日本ハム)、安田尚憲(履正社高−現・ロッテ)らそうそうたるメンバーの中に混ざってプレーできたことは大きな財産になった。

 だが、帰国後、間もなく行われた高校2年生秋の兵庫大会では3回戦で明石商高に1対4で敗戦。翌春の選抜甲子園の道が断たれた。

 シーンとした帰りの車内……そこで母・こず江さんが声をかける。

「春まで長いなぁ。どうするー?」

「そやなぁ……夏からずっと戦ってきて、戦い抜く体力が、ないなぁ」

「春までまだ長いからな。何か決めてやっていかな、もったいないなー」

 そこで、小園親子はあることを決めた。

 アスリートだった母だから言えること。そんな母からの提案だったからこそ「やる」と言った。結果的に、それが“スーパー高校生野手・小園海斗”を生むことになり、1年1カ月後、プロ4球団からドラフト1位指名を受けるほどの選手になっていくのだ。

(企画構成:株式会社スリーライト)

・<後編に続く>



2000年6月7日生まれ。兵庫県出身。背番号51。内野手。右投左打。178センチ、84キロ。プロ1年目。枚方ボーイズに所属していた中学時代には全国大会優勝を経験し、U-15日本代表に選出。報徳学園高に進学すると早々にレギュラーをつかむ。2年春、初出場の甲子園では打率.500の成績を残しベスト4入りに貢献。3年夏の甲子園でも2回戦の聖光学院高戦で大会タイ記録となる3本の二塁打を放つなど超高校級ショートとして存在感を見せつけた。大会後には、前年に続いてU-18日本代表に選出された。2018年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。球団の高卒新人では2000年の苫米地鉄人以来の開幕1軍入りを果たす。6月20日、「1番・ショート」でデビューしプロ初打席初安打を放った。7月11日に行われるフレッシュオールスターゲーム2019に出場予定。


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